昨年8月に父が倒れました。8月15日午前5時いきなり心臓が止まりました。救急隊員の方の懸命なマッサージで動き出した心臓でしたが、23分間止まった心臓により蘇生後脳症(低酸素脳症)となってしまいました。
父は昭和9年生まれ。三重県名張市から丁稚奉公として大阪で勤めた電気店より昭和46年に独立し、旭区で小さな電気店を営んでいました。
8月13日は、孫である私の娘の一日早い誕生日を一緒に過ごし、14日は高校野球を一日中自宅でテレビ観戦し、17日より盆明けの商売を開始する予定でした。
父と母の二人で営んでいましたと言っても、顧客との約束は父一人で行っていましたので、父が倒れてからのその後の予定が全く分からず、メーカーから仕入れた商品が届くたびに返品の手続きを行い、顧客から「まだ来られないのですが…」のお電話にお詫びをすると言う日々が続きました。小さいとはいえ残された店の片づけと、病状が不安定なことによる先の見えない不安などでクタクタになって行く母を見ているのが本当に辛かったです。
12月に入ったころから、やっと少しずつ周りが見えてきた母。小さな引き出しから少しばかりの積立の通帳を見つけて「お父さんは、このお金で何がしたかったんだろうね。」と話していた矢先、父と仲の良かったお客様がお見舞いに来てくだった時に、動かない父の枕元で「大好きな台湾にもう一度行きたいって言ってたよ。」「お孫さんの結婚祝い貯めてるって言ってたよ。」と言う話を笑いながら聞かされてしまう母。
自発呼吸が出来ない為、気管切開しています。
食事が取れないので、鼻からチューブで流し込みます。
目を開けます。
あくびをします。
痰を取ると暴れます。
重たい荷物も軽々持てた大きな腕も、骨が見えるようになってきました。
でも、耳は聞こえているのか孫が話しかけると笑った様な表情をします。
医学的な事は全く分かりません。父がこの先どうなっていくのかも分かりませんが、父が何をしたかったのか聞く事すら出来ません。
家族に何を話しておきたかったのか?
自分が亡くなった時どんなことをして欲しいのか?
どんなお葬式をしたかったのか?
せめて、残された家族が納得出来る事を教えて貰いたいと思ってしまいます。
父の口癖でした。「好きなものを食べて、好きな酒を飲んでコロッと死にたい。」
死ねないですよ、今の時代は(笑)
どうぞ、皆様もご自身の為に家族の為に日々いろんな思いを話しておいてくださいね。
父のように口下手な方は、是非ノートにでも思いを書き溜めておいてあげてください。
傍についているだけですが、思いが伝わると少しでも家族は救われますよ。
毎月、職員達が交代でつれづれなるままに綴っております。