私が、大阪に住み始めて22年も経ち、実家の静岡で過ごした年数よりも多くなりました。
大学に入学したときから33歳まで、南海高野線の我孫子前駅の近くのワンルームマンションの4階に住んでいました。住み始めた当時は大阪市の下町といった感じで、高いマンションもなく、静かな場所で辺りを見回せていました。お風呂屋さんも歩いていける場所に5,6件。
静岡の実家の近くにはお風呂屋さんが無かったので、この多さにはびっくりしました。
社会人になって「ちょっとサウナでも」と思ったら近くのお風呂屋さんに行っていました。それぞれのお風呂屋さんに個性があり、気分により場所を変えていました。サウナの中にテレビがあり、夜のプロ野球ニュースを見るのがちょっとした幸せのひと時でした。
結婚してからはお風呂屋さんに行くことはありませんが、今年の8月末に自分がお世話になったお風呂屋さんが閉店していました。ここまで経営を続けているので、常連客はいるのだろうと思っていましたが、そのシャッターには「お客さんの減少と燃料費の高騰から維持してくことが困難になったため」という張り紙が貼られていました。
また、行きつけの串かつ屋も今年の3月に店を閉めました。大学生のときから通っていたので20年以上は経ちます。ちょっと一杯飲みたいなと思ったらふらっと寄っていました。マスターが70歳以上になり、もう店を閉めるとは聞いていましたが、実際閉めるとさびしいものです。夜自宅に帰るときもその道を通ることもありますが、赤ちょうちんがかかっていないと「終わったんだなぁ」と感じます。
母校の大学でも経済学部の入試が無くなりました。グローバルの時代になり、もっと広いことを学ばなければならないということで、学部の垣根をとり平成24年度から学域制が始まりました。あと2年もすれば経済学部の学生が卒業して無くなります。
お風呂屋さんで思いだすのが、椎名誠氏の『哀愁の街に霧が振るのだ』という本です。
この本を読んだ時期が大学生か高校生のころで、うろ覚えですが、椎名誠の青春時代の話で、友達との共同生活についての出来事が書かれていました。お風呂屋のことや人が集まればすぐ酒盛りを行う。そんな生活に自分も憧れがあったことは確かです。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる者久しからず
ただ春の世の夢のごとし
猛き人も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
消えてなくなるものも存在を認識して、その状態を受け入れないとなりません。
毎月、職員達が交代でつれづれなるままに綴っております。