東京丸の内にある相田みつを美術館は、常設作品の展示室や、ゆっくりと語れるカフェとともに、ミュジアムショップがあり、相田さんの作品集や、長男一人さんの文庫本、あるいは作家の解説書など大手出版社が競って発行した書籍がずらりとならんでいます。

また、相田さんの作品にかかわる色紙や、DVDビデオ、CDカセット、ポストカードからのれんや手ぬぐいまで、はては心の書としては読めないような字の携帯ストラップまでいろいろなグッズが販売されています。もちろん通信販売もされています。

作家の故・立松和平さんは「思想の語り部」と相田さんを美しく評価されています。

 しかし、生前の相田みつをさんを知る私には、美術館の中にも、立松さんの評の中にも、相田さんをみつけることはできませんでした。あまりにも商業的な作品や、作為的に美化されてしまっているからです。

 私が相田みつをさんと出逢えたのは、昭和五十二年の秋、京都の小さなみやげ物屋でみつけた一枚の色紙『生きていてよかった』との出逢いからです。当時母はいろいろな悩みをかかえて、生きることに苦しんでいました。そんな時、体に障害を持つ末弟が、同じ障害を持つ女性と結婚式をあげました。その夜、車椅子から降りた母が「生きていてよかった」とポツリといいました。

 色紙との出逢いからの仏縁で、私達の会社の創立十二周年記念誌として、相田さんの始めての作品集『雨の日には雨の中を風の日には風の中を』が生まれました。

朝日新聞日曜日の夕刊で当時の記事『心のページ』に紹介されたのがきっかけで、その後の十年で十万部を全国のみなさんへ郵便にておとどけいたしました。

平易でやさしいことば

だれにでも読めるやわらかい文字

それでいて見る人の心に

人間的ふかい共感を与える

これが相田さんの作品で、相田みつをさんその人の生きざま、人生感ではなかったでしょうか。

 その後の昭和五十九年に、相田さん生前中の作品集として、文化出版局より『にんげんだもの』が発行されミリオンセラーとなりました。

 つまづいたっていいじゃないか人間だもの

にんげん我欲のかたまりにんげんのわたし

なやみはつきないなあ生きているんだもの

書家・詩人として、誰のまねでもない、自分の書、自分の言葉を求めつづけ、自分の弱さや甘さを正直にさらけだす。それが相田みつをさんその人の、にんげんだものではなかったでしょうか。


 平成三年十二月、少々の無理が重なり脳内出血により足利市にて永眠。享年六十七歳。


今月は米田建築株式会社 代表取締役 米田典夫様よりご寄稿頂きました。

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