早いもので、私が税理士法人マークスの前身である植村祐三税理士事務所の総務としてご縁を頂いて3年が過ぎました。こちらにご縁を頂くまで総務も経理も全く経験が無く、わからないこと、できないことだらけで、お客様をはじめ周りの皆さんには沢山ご迷惑をおかけしてしまいましたが、なんとか今までやってこられたのも皆さまのお陰と感謝しております。ありがとうございます。私は基本的に内勤ですので皆さまにお会いする機会は少ないですが、今回この場をお借りし、自己紹介などをさせて頂きたいと思います。
私は大学で教育学を専攻し卒業後は8年余り民間教育機関で働いていましたが、そこには様々な国から来た方々がおられ、職場は英語を中心とした外国語が飛び交っていました。留学経験のあるスタッフが多い中、経験の無かった私は働きながら英会話を習い、なんとかコミュニケーションをとっていました。退職するまで苦労の連続でしたが、さまざまな国のこと、文化、考え方を学びました。英語というコミュニケーションツールがあると世界が広がる。そんな実感がありました。そんな経験から、手話というコミュニケーションツールに興味を持ち、昨年より市が主催する手話奉仕員養成講座や地元の手話サークルでぼちぼちと勉強をしています。
ご自身で手話を使うことができなくとも、手話は聴覚障害者が使う言語であるという事は皆さんご存じでしょう。しかし実は我が国の法律上、手話が言語として認められたのはつい先日、今年の7月29日の事なのです。
1760年に世界初の聾唖学校がパリに設立、日本では明治時代初期1878年に京都盲唖院が設立され、それまではごく限られた身内にしか通じなかったサインをまとめ、手話として指導されるようになりました。しかしその後の聴覚障害者教育は、手話派と相手の口を見て話を理解する口話法派とにわかれ、1880年ミラノで開かれた国際聾唖教育会議で口話法の優位性が宣言されてからは、日本の聾学校でも口話法が主流となり手話を禁ずるところさえ少なくありませんでした。手話が再び日の目を見たのは1960年。言語学者が「手話は劣った言語ではなく、音声言語と変わらない独自の文法を持つ独立言語である」と発表。口話法での教育に対する行き詰まり感もあった中、手話は再び評価されることとなり、国連障害者権利条約には手話が言語である旨が明記されました。
日本語や英語など音声言語に対して手話は視覚言語と呼ばれるのですが、「視覚」は手や指、腕だけでなく、非手指動作と呼ばれる表情などにも及びます。私たち健聴者は頭の中で日本語の文章を考えてから手話に置き換えがちですが、手話がネイティブランゲージ(母国語)である方は勿論そのような置き換え作業は無く、手話という言葉が映像に変換され、見えているそうです。ですから私のような手話初心者がよく注意されるのは「表情」と「方向」です。いくら表現や文法が正しくても、表情や動きの方向が話している内容にそぐわないと聾者には通じません。逆に手話の表現方法がわからずただのジェスチャーであったとしても、表情がしっかりついて、物の移動方向や時の流れなどがきちんと表せている時は通じるのです。
手話の勉強をすることで、手話という言語だけでなく、聴覚障害者の歴史、文化、環境など、手話を勉強する前の私は知ることも関わることもなかった事を沢山知ることができました。いつかは手話を通してどなたかのお役に立てるようになれることを目標に、勉強を続けていきたいと思っています。
手話、英語、中国語・・・言語にも色々ありますが、新しい言語を学ぶとコミュニケーションツールが増えるだけでなく、今まで自分が知らなかった世界、文化が見えてきます。知っている世界だけで終わるのは人生勿体無いと思いませんか?是非皆さまも新しい世界に飛び込んで見て下さい。きっと新しい発見があるでしょう。
鈴木 由紀子