平成27年9月4日に、社員研修旅行として被災地の見学をしてきました。
宮城県の沿岸地域を中心に、名取市から入り、松島町、女川町、石巻市へ行きました。石巻市には、北上川と旧北上川が流れています。現在の北上川は女川町の北部を流れており、石巻市を中心辺りで二分しています。
事前にホームページ等である程度の予習はしていきましたが、実際に見てみると想像以上に復旧が進んでいないことが分かりました。写真で見るのと、全然印象が違ってきます。うまく説明できませんが、風の音、人の声、気温、距離感、そして写真の枠外の風景は実際に行って見ないと分かりません。被災地で印象に残った写真を6枚紹介します。
名取市
仙台空港からゆりあげ地区までの間、このような更地になっていましたが、大震災以前はここにも人が住んでいました。すべて津波で流されてしまいました。もし、バスガイドからの説明がなければ「飛行場の近くだから、原っぱか畑かな。」と思ってしまうところでした。この草の下には、住宅の基礎部分があります。説明を聞いて思ったことは、「え!? 全然復興がすすんでいないではないか!」という驚きです。バス内はみんなが静かにバスガイドの話を聞いていました。そのくらい重かったですね。4年という年月で、風化していた記憶が蘇ってきました。写真には写っていませんが、工事関係の大型車両が頻繁に行き交っていました。
ゆりあげ地区の慰霊碑
仙台空港から20分程のところに、1年前の8月にこの慰霊碑が建てられました。この慰霊碑の反対側に「閖上の記憶」という震災を伝えるための小さな小屋があります。そして、写真には写っていませんが、この左側に後ほど紹介致します『日和山』という高さ6メートルの山があります。海までの距離は約700メートル!ここに逃げた人は助かりませんでした。なぜなら津波が8メートルの高さまできたからです。
女川町
女川駅前ロードを海側に歩いていくと倒壊した交番があります。この交番を取り壊すかそれとも残すのかという議論がありました。
近くにある希望の鐘商店街の店主が話していましたが、これからは、海岸の方には、仕事場のみで人は住めないそうです。女川周辺は、津波の高さが17.6メートルになったそうです。当事務所が6階建てですが、ここまで津波がくることになります。屋上にいないと助からないという計算になります。写真にはありませんが、この女川駅周辺に来る前に見た高台に建つ女川町立病院まで津波が襲ってきたという話を聞いて、津波の脅威とその時の人々の恐怖を感じました。
石巻市 門脇地区
石巻市の中でも被害が大きかった場所です。先に見えるのが、門脇小学校。昨年の紅白で長渕剛氏がこの地で鎮魂歌『ひとつ』を熱唱しました。
この小学校の避難行動が賞賛されています。バスガイドの話によると震災が起こった後、上の階の教室に移動させて、津波が襲ってきた時には窓から出て学校の裏手にある高台に避難したそうです。その後、流れ出た油に引火して火災が発生しました。この周りには住宅が建っていました。すべて流されてしまいました。現在、学校には幕が張ってあるために火災の焼け跡は見えない状態です。
石巻市 日和山より
石巻市を紹介するときに良く出てくる風景で、日和山から北側を撮った写真です。この川は、旧北上川です。
女川町北部を流れる現在の北上川の近くにある大川小学校では、津波が襲ってくるという認識が少なかったため、避難のスタートが遅れ最悪の避難行動となってしまい、かなりの方が犠牲になりました。
次に日和山から南側を撮った写真です。先ほどの写真の反対側となります。震災前は住宅地でしたが津波で流されました。石巻市は盛り土を行っている最中で8メートルほどにする予定です。この写真には写っていませんが、右側には日本製紙の石巻工場があります。バスガイドの説明では、工場内にいる約1300人全員無事でした。この工場の近くには何本かの高台への道があり、みな一斉に逃げたそうです。その時、「携帯を忘れたから、工場に取りに戻りたい。」と言った従業員を業務命令として返らせませんでした。上司が何と言ったと思いますか? 「戻ったら首だぞ!」
バスガイドより、「津波てんでんこ」という標語を教えていただきました。東北の方言で「てんでん」は「各自」や「めいめい」という意味で、「津波がきたら各自で逃げろ、自分の命は自分で!」という意味です。今回の東日本大震災では、身内が家に居るかどうかの確認や物を取りに行った事により、津波に巻き込まれた人がかなり居たそうです。
すべての写真を掲載することはできませんが、この地域の人たちは、言葉は悪いですがマイナスからのスタートです。私たちはこの被災地から災害について何を学んでいくのか。
まず、『自分が率先して逃げること!』ではないでしょうか。そうすることにより周りもつられて逃げていく。そんな気がします。
まだまだ復興されていない被災地の現状を目の当たりにし、我々に出来る復興への手伝いは、ここを訪れることだと思いました。目にも彩り鮮やかな紅葉の季節です。皆さまも、機会があれば是非東北へと足を延ばしてみてはいかがでしょうか。